断片置き場

小説とか書評とかを書いていくつもりです

魔女の話

甲田学人のMissingシリーズは2001年から2007年にかけて刊行されたホラージャンルのライトノベルだ。それが加筆修正されふたたび刊行されることとなった。

甲田先生のファンの一人として多くの人にまたこの作品を手に取ってもらえる機会が来たこと、それは喜ばしいことだ。

ただ、嬉しい、めでたい、といった気持ちよりもまず先に、またあの「魔女」と出会えるのだという気持ちが強かった。

だからこれから私は「魔女」の話をする。シリーズの根幹をなすキャラクターであり、少しでも語ろうものならネタバレは避けられない。だからこれはこれからMissingを読む人のための文章ではない。

魔女が私に昏い夢を見せるから、それを吐き出してみせよう、そういうことだ。

 

一応作品全体の概略について。

閉鎖的な学園都市で起こる怪事件が文芸部に持ち込まれる。癖のある部員の面々が解決していくが、やがてより大きな企てに呑まれていき…といった話。

特色として、怪事件を分析する際の民俗学的な蘊蓄が豊富だ。この点は甲田作品のいずれにも通じている。

もちろんホラーらしさ、あるはずのないものの気配の描写が素晴らしい。一人で読むときに背後を気にしたくなるような、そんな風に意識を過敏にさせる力がある。

 

そんな作品の中で極めて重要なキャラクターが「魔女」十叶詠子だ。彼女は学園の静かな片隅、薄暗い沼をその居所とし、悩み事の多き学生たちの相談相手になってくれる、そういう噂になっている。

序盤は出番がそれほど多くないが、事態の核心に迫るようなことを言ったり、部員たちの個性を興味深そうに洞察したりする。また言動に迂遠で謎めいたところがあり、善良とも言い難い価値観を持っていることから、読者は彼女を単純な味方とは思えなくなっていく。

そして物語が佳境に入ると「魔女」は明確に文芸部に敵対し、学園の向こう側に隠された「神」を呼び込む計画を実行する…

 

「魔女」はトリックスター的な性格のキャラクターであり、その行動の動機は他者から理解されることのないものだ。彼女は現実の「こちら側」と、狂気の世界である「向こう側」とに違いがないと考えているし、それを繋げることによる犠牲など意に介さない。

人命や他者の幸福それ自体に価値を見出さない。自分の好奇心を充足させることのほうが優先。

ある意味では存在そのものが災いであり、関わった時点で多くの人間は破滅させられてしまう。

 

このような人物が私の中でいつまでもちらついているのは、私自身がこの作品に触れたころ荒んだ気持ちで過ごしていたことが大きい。暗い気分で物語に溺れていたあの頃に、「魔女」は私の手を引いて導いてくれた、とてもとても暗い方へ。

その闇は心地よかった。何もかもが凄惨な結末を迎え、台無しになるヴィジョンの中で「魔女」が嗤う姿を想像するのは気持ちの良いものだった。いや、今でもそれに歪な爽快感を感じる。

だけど現実において私は破滅しなかった。悲劇的な物語を他にも色々と読んだけど、それでも破滅そのものには陥らなかった。なんだか酷いことが現実で起こってもそこに魅力はなかった。この身を託してもよいと思うような美しいものはなかった。

作中で向こう側に導かれた多くの者は「できそこない」と呼ばれる原型を失った冷たい肉塊へと変貌してしまう。そういう劇的なものにあこがれた。

何度もこの物語を読み、理想的な悲劇の風景を思い描くことで、現実で破綻してしまう欲求を抑えていたのかもしれない。

私は数多くの物語に救われて生きてきたが、「魔女」にもまたその残酷さとキャラクターの完成度の高さによって救われた。この物語に、「魔女」に出会うことができて本当に良かったと思っている、奇妙に思われるかもしれないが。

さて、クライマックスで「魔女」は文芸部員たちに追い詰められるが、死の間際に携帯電話を通して精神を、罪もない学生へと移してしまう。その後は消息は不明であり、いつでも私たちは「魔女」に出会えるかもしれない、と考えることもできる。

作者としても「魔女」は1作では語りきれない存在だったらしく、スピンオフに『夜魔』が、また

小さな魔女の散歩道 (@majosanpo) | Twitter

でも「魔女」の日常が語られている。昏い夢はまだまだ終わらない。