断片置き場

小説とか書評とかを書いていくつもりです

焼き尽くされたことども

あれからアルバムを捲る時間を作るようにした。

一年のうちで、祝福されるべきすべての日のうちで、あなたにとってのそれが2度目の訪れを迎えたときに記念として買った。

真っ白な表紙にAlbumとだけ金で綴られていた、なんだか寂しいのであなたの名前をその下にサインペンで書き加えた。

私と彼はあなたの写真を生まれた日からいくつも撮っていたけれど、アルバムを買ってからはもっと馬鹿みたいに撮るようになった。あんまりにも多くなりすぎたので、刷るのはよくできたやつだけにする、と決めなくてはいけないほどだった。

ベビーカーの中で眠るあなた、はじめておさじを握ったあなた。立ち上がって誇らしげなあなた、タンバリンを鳴らすあなた…少しずつできることが増えていって、あなたは大きくなり続ける。ますます活動的になっていくあなたを私は見失う。駆け続けるあなたはファイダーに収まらなくなり、フラッシュの光も及ばない。

それが嬉しいことのようで不安でもあった。ただその不安は完全に巣立つ頃の未来のことについてであって、差し迫ったことだとは考えていなかった。

ある日、夕方に散歩をしたときに一枚撮った。

夕陽が写真の左からさしていて、あなたはそちらのほうへ向かっていく、その光景を俯瞰視点で撮った。私に背を向けてあなたは光に吸い込まれていきそうだった。

撮り終えた後なんだか無性に寂しくて、あなたの手をしっかりと握って帰った。

不安な気持ちは時折首をもたげたが、気にしないようにしていた。

遊び疲れて寝息を立てているあなたを撫でることでかき消した。

あるときあなたは具合を悪くしてしまう。急速に弱るあなたは生まれつきの病を抱えていたのだと、医師に唐突に説明される。日当たりのよい部屋であなたは2週間と少しを過ごす。萎れていく腕と脚があまりにも無残だった。こけた顔、射す陽もすべてを追い払えなかった。痛みを伴う延命治療は一度きりでやめにした。そうして瞼が開かなくなり、呼吸が止まった。夕暮れの光が差し込んであなたのだいじなものが溶け込んで、そのまま遠くに行くのが分かった。

もう5カ月もすると、あなたはあなたの弟の顔を見ることができたはずだった。

どうしてと悔やむ声が私と彼との間にあふれるようになった。

家のあちこちにあるあなたの名残のせいで、身動きが取れなかった。

外からのショックを受けると、お腹の中が落ち着かず、それが心を蝕んだ。弟もあなたのように私たちから去ってしまうのではという恐れがあった。

彼のほうが立ち直るのが早くて救われた。彼は私の不安を何時間でも聴いてくれた。

次第に気持ちが落ち着いてきて、次の誕生のための準備をはじめることができた。

ただ、夕方だけは駄目だった。どうしても喪失感が強くなって、こらえきれなくなる。夕陽がそれを膨張させて真夜中まで泣き続けてしまうこともあった。

彼が無理に我慢したり、忘れようとしなくていいと言ってくれて、アルバムを見直してみたらと勧めてくれた。日が暮れるころはそういう時間をつくることにした。はじめは彼もいっしょにいてくれた。しばらくして独りでも平気になり、度を越して取り乱すこともなくなった。

 

あなたの弟が生まれて、あなたとは少し違った育ち方をしている。それでも姿かたちにはやはり似たところが多くて不思議な気持ちになる。あなたの弟にはあなたの服のお下がりも着せている。悲しい遺品としてしまっておくよりもそのほうがいいと思ったから。あなたはずるいと思うかもしれない。

 

あなたの弟の写真も撮っている。あなたの時ほどは多く撮っていないかもしれない。あなたのときはがむしゃらだったけれど、今は撮るべきタイミングが少し分かってきたから。すべてを記録することはできないから。弟の写真のアルバムは別のものにしている。紺地のカバーのアルバム。親戚からのいただきもの。

 

夕暮れの習慣はいまだ続いている、

暮れきるまであなたのアルバムを捲り続けている。

あなたが光に消えたのをいまだに覚えている。夕陽だけがそれを知っている気がして、そういう思いの強いときは、やけに赤々と燃えて私を焦がす。

 

近頃、あなたの後ろ姿を上から撮った写真が妙に目につくようになった。日没へと進むあなたの姿がどこかおかしな気がする。

私の記憶よりもあなたはなんだか小さい。思い違いかと思ったけれどそうでもない。私は確信をもってそう言えたけれど、彼にこんなことを相談したりはしない。

それからその写真だけをじっと見つめるようになって、私は奇妙な仮説を立てる。

写真の中のあなたがゆっくりと進んでいて、ますます私から離れているのだと。

光のほうにあなたは進む、一度失われたものがまた失われていく。

そんな悲しい出来事がやり直されるなんて耐えられなかった。

でも、あなたが去っていくのを引き留める方法もわからない。

 

眠りの浅い日々を過ごしていて、彼からひどく心配されている。隈がうまく化粧で隠せないせい。

あなたの弟が家の中を走り回って、あちこちを叩いている。家の中がぐらぐらと揺れていて私は立っていられない、そんな気分になってしまう。元気盛のあなたの弟にとっては、もう家は狭すぎてだめだ。だから、今日は午後に散歩に出かけようと約束していたのに、これでは果たせそうもない。絨毯の上に寝そべっているうちに正午になる。元気を振りしぼって台所に立つ。頭が働かなくても、いつのまにかチャーハンが出来上がっている。あなたの弟とそれを食べ、洗い物を終えたあたりから本格的にあやうくなり、よくわからなくなる。

気が付くともう夕陽が沈み始めている。水平線からにじみ出る光が河原を焼き尽くしていて、私はカメラを手に抱えて立っている。少し下がった土手に、あなたがいる。

あなたは夕焼けの美しさを面白がり、目の焼けるのも関わらず駆けだしていく。

あなたの後ろ姿を撮る。シャッターを切る音が響いて、あなたが振り返ると、あなたではなかった。

 

ドアがバタン、と閉まった音で目が覚める。もう薄暗い。夕暮れから目覚めてはまた夕暮れ。窓の外は茜色に染まりきって、私は指先すらおぼつかないほど薄暗いところにいた。

さっきの音は、もしかしたら、あなたの弟がドアを開けて、外に出てしまった音ではないだろうか。私はすぐに立ち上がって追いかけなくてはならなかった。何かがあっては遅い。

重大なことには気が付いていた。あなたの弟はあの写真を撮った時のあなたと同じ服を着ている、ということ。

だけど私の足はそっちへ向かわない。リビングの窓側に吸い寄せられるように歩き、置かれたアルバムを捲り始める。赤くて眩しい、こみ上げてくる。あなたの姿が私を離してくれない。河原の写真にたどり着いて、涙で前が見えなくなる。黄金のように陽を吸い込んで、燃え上がる熱をもった滴。河原のほうまであなたの弟はいってしまっただろうか。刺すような輝きにあなたたちの後ろ姿が掻き消されていく、それが写真の淵から私の頭を通り過ぎて、窓の外へと消え去っていった。